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西洋の物や概念を日本語変換しなくなった日本人

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「社会」と言う言葉は明治時代に福澤諭吉が作った言葉として広く知られています。

江戸時代までには無かった言葉です。

1854年に開国してからは西洋の文化や概念多く日本に入ってきたので明治の日本人は西洋の物や概念を日本語に翻訳して来ました。

「自然」や「個人」などの言葉もそうで、江戸時代までは無かった西洋の概念を日本語に置き換えた言葉です。

しかしおよそ160年以上後の今は新しい西洋の概念などを外国語の読みをそのままカタカナにしただけだったり、複数の単語からなる場合などはそれぞれの先頭アルファベットを取った略語にしただけで日本語に翻訳することをしていない。

正確には日本語訳もあるが一般的には使われていない。

この例えが良いかどうかは別にして例えば一例を挙げるとしたら「KPI」はどうだろうか。

「KPI」とは「Key Performance Indicator」の各単語の頭文字を取ったアルファベット三文字の略語である。

日本語にすると「重要業績評価指標」になる。

「KPI」といきなり言われても何がなんだか理解出来ないだろう。

日本語でも難しい。

最近はこういった感じでアルファベットを使った略語が盛んで、普通に使って来たりするので時々何を書いているのか解らない時があり困惑してしまう。

やはり日本人は横文字を使うよりかは日本語に置き換えた方のがすんなりと頭に入ってくると思うのだが。

その点、明治の日本人は西洋の物や概念を表す言葉をそのまま使わずに日本語に翻訳し、日本語で理解出来るようにしたから凄いと思う。

尤も当時は英語は今より身近な言語では無いため日本語に訳さざるを得なかったのだろうと推測するのだが。

それにしても最近は日本人か安直過ぎるように思える。

言葉は文化だから日本語をもっと大事にしないとその内日本の文化も衰退し西洋文化に置き換わってしまうかもしれないなぁ。

そう言えば昔ルー大柴ってのが居たが今はどうしているのだろうか。

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