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時の流れに身を任せ2

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明治に入ると日本はこれまでの制度や風俗を古いものとして西洋文化こそが進んだ文明としその文化を取り入れて来ました。

その中の一つに日本政府は西洋式の暦か有ります。

当時の日本政府は、新しく出来たばかりでお金に困っていてそれで西洋でっ使われている暦を導入したとか。

そんな話も伝わって来ていますが実際のところはどうなのでしょうか。

何故お金に困っていて導入したかというと、西洋式の暦に変えることで、政府は1ヶ月分の給料を支払わなくて済むようになるからです。

江戸時代までの暦(太陰太陽暦)

江戸時代までの人々の生活のは基本太陽が昇ったら起きて、太陽が沈んだら眠りにつくといった自然の周期に合わせた生活を送っていました。

そして一年の季節の捉え方も今と昔では微妙に暦がずれています。

江戸時代までの暦を『太陰太陽暦』と言います。

月と太陽の周期で一年の日数と一日の時間を決めていました。

江戸時代のカレンダー「大小」

一ヶ月の周期は月の満ち欠けでおおよそ29.5日となり、一年で354日となります。そこで1ヶ月を29日と30日の2つに別けて29の日を『少の月』30の日を『大の月』と読んでいました。

江戸の人にとって「大小」と言えば今で言うカレンダーのことを言ってたんてすね。

1年は13ヶ月?

太陰太陽暦では1年354日しかありませんから今の365日に約11日足りません。

従って、3年に一度閏月を設けて1年を13ヶ月としました。

そう、江戸時代までの暦では、3年に一度閏月があり、1年は13ヶ月あったんですね。

今も暦が「太陰太陽暦」だったら閏年には1ヶ月分多く給料が貰えてたってことなんですね。

夏と冬では働く時間が違うんだ

では、一日の時間はどうでしょうか。

太陰太陽暦では、地球の自転で一日の時間を決めていました。

日の出から日の入りまでの時間を6等分して、その6分の1を一刻として時を数えていました。

これを不定時法と呼び江戸時代の時間の数え方です。

現代の時間に換算すると、春分の日と秋分の日で一刻の時間は2時間となり、日に日に時間が変動していきます。

夏の昼の時間は2時間以上となり、冬の昼の時間は2時間未満となります。

従って、江戸時代の人の労働時間は季節によって長くなったり、短くなったりと変動していたのですね。

明治以降のこよみ(グレゴリオ暦)

太陰太陽暦から西洋で使われているグレゴリオ暦に変わったのが明治6年(1873)からのことでした。

明治5年11月にグレゴリオ暦への改暦を発表し同年12月3日を明治6年1月1日として今日に至っています。

1年は365日

グレゴリオ暦は地球が太陽の周りを一周するのを365日としました。

然し、正確には365.2422日なので1年毎に0.2422日ずれて行きます。

そこで4年に一度1年を366日としてずれを調整することとしました。

そしてこの年を閏年と呼びます。

また、100年単位で太陽と地球の運行周期を計算するとずれも大きなってくるので400年単位で閏年を設けたり設けなかったりして誤差を調整しています。

一日は24時間

では、一日はどうやって求めるのでしょうか。

それは地球の自転です。

地球自体が回転しているのである地点を、決めてぐるっと一周して、またその地点に戻ってくるまでの間を一日とし、それを24等分したのもを1時間としました。

なので地球の自転を元に決めているので1時間の長さは一定になります。

太陰太陽暦とグレゴリオ暦の違い

こうして両方を見てみると、一日の時間は太陰太陽暦では、日の出・日の入りで時間の単位を決めているのに対してグレゴリオ暦では、地球の自転で単位を決めています。

これらの違いによって、グレゴリオ暦では一年中時間の長さは変わりませんが

太陰太陽暦では季節によって一単位の時間の長さが違って来ます。

更に1年間の日数が違うことから太陰太陽暦では3年に一度1年が13ヶ月の閏年かやってきます

どちらも太陽と地球の運行で暦を決めているところは同じですが月の運行も暦に加えていた昔の暦は今と大きく生活スタイルが違うことがわかります。

自然のなかで生きるにはどっちの時間の流れが良いのだろうか

多くの国で古くから使われてきた太陰太陽暦ですが時代か下るにつれてく今ではグレゴリオ暦を採用する国が殆どとなりました。

蒸気機関が発明されてから機械化が進み生産力が上がり物質的に豊かになってゆきました。

それと共に効率化が求められるようになりそれまでの日照時間内での労働時間から労一律8時間とし1年を通して一定時間働くようになりました。

明治以前の江戸時代までの日本は循環型の社会で暮らしていました。

当時の日本は制限貿易をしていて現代の様にエネルギーや食料を外国から輸入していませんでした。

全て国内で賄うことが出来きて約100万人もの人々が暮らせる社会だったのです。

そう考えると今の日本は外国依存度か高過ぎで危ういですよね。

特に食料自給率が低くて国内生産力が有るのに外国から食料を輸入している状況です。

然しながら最近は農業に注目している若者が多くなってきたような印象があるので、衰退してきている農業もこれから先は盛りかえして来るのではないかと考えてます。

さて、明治以前の暦には月の運行、つまり付きの満ち欠けで1ヶ月を数えていました。

月と地球はお互いの重力で引っ張り合っていて着かず離れず月は地球の周りを廻っています。

その月がどうやら地球の生命に重要な役割を果たしていることが知られています。

例えば女性の排卵周期も月の満ち欠けの周期にほぼ同調しています。

妊娠と月の関係も興味深く、新月や満月の日に妊娠しやすいデータもあります。

何も人間だけではなく月は地球の動植物たにとっても重要で、そもそも月が無かったらこの地球に今いるような生物は誕生しなかったかもしれませんね。

そう考えると太陰太陽暦は合理的なグレゴリオと違ってより地球の時間の流れに沿った暦なのかなと感じます。

それは、お日様が昇ったら目覚めて、お日様が沈んで月明かりが照らされたら眠る。

月の満ち欠けで1ヶ月をカウントし1年を過して行く。

より自然なリズムの中で暮らしていたほうが体にとっての負担は今以上に軽くなるような氣がする。

画一的で合理的な時間の中で過ごすのと自然のリズムのなかで過ごすのとどちらが人間にとって良いのか、恐らく後者のほうではないかと思えてならない。

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