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王子駅近くの名主の滝公園で散策

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王子にはかつて「王子七滝」と呼ばれる滝があったそうです。そのうち今でも現存している滝が「名主の滝」です。

今は「名主の滝公園」で見ることができます。何故名主の滝という名前がついているのでしょうか、北区のホームページを見てみると

江戸時代の安政年間(1854~1860)に王子村の名主「畑野孫八」が自邸に開いたのが始まりで、“名主の滝”の名前の由来もここから来ました。庭園として整備されたのは、明治の中頃で、垣内徳三郎という人の所有になってからでした。昭和13年には、株式会社精養軒が買収し、食堂やプールなどが作られ公開され続けてきましたが、昭和20年4月の空襲により焼失し、ようやく東京都によって再公開されるようになったのは昭和35年11月でした。

https://www.city.kita.tokyo.jp/d-douro/bunka/koenichiran/nanushinotaki.html

江戸時代の王子村の名主の人が開いたので名主の滝と呼ばれたようですね。

江戸時代の「名主」とは村方三役の一つで村の一切の事務を行う長のことを言います。年貢を納める、通行手形の発行、村民の世話役などを主に行ってました。

因みに関東では「名主」と言ってましたが関西では「庄屋」と言ってました。

百姓の身分がなる役職で、江戸時代その多くの農民は苗字は無く、況してや刀を持つことを許されなかった時代において、名主においてはその功績に応じて苗字や刀を持つことを許されるくらいの地位でした。

村方三役とは名主/庄屋(村の長)・組頭(名主の補佐)・百姓代(百姓の代表)を言います。

明治の垣内徳三郎と云う人は貿易商だそうで、この人の所有になってから塩原の風景を取り入れた庭園として整備されたそうです。

その後戦争を挟み一度は戦火で消失しまった様ですが、東京都の管轄になって今でも公園として解放されています。

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住宅街にある緑豊かな庭園

名主の滝公園 入り口門

名主の滝公園は王子駅から歩いて10分くらいのところにあります。

JR王子駅北口を飛鳥山の方に出て、線路沿いに歩き、森下通り商店会通りを真っ直ぐに400メーターほど行ったところにあります。

周りはほとんど住宅街で通りを歩いて行くと左側に忽然と森が現れます。

武蔵野台地の突端にある王子は近くに飛鳥山があるように結構高低差のある土地です。

名主の滝公園へ行くまでの道のりは平坦でも公園内は結構高低差があります。

庭園の中には、高低差8メートルの男滝(おだき)を初め、女滝(めだき)、独鈷の滝(どっこのたき)・湧玉の滝(ゆうぎょくのたき)の4つの滝からなります。が、現在は男滝しか稼働しておらず他の滝には水が流れていません。唯一稼働率している男滝も昔は湧水でしたが今ではポンプで水を汲み上げて循環させています。

とは言えやはり見所は男滝です。高低差8メートルから落ちてくる滝は、春の日差しを受けてキラキラと輝いています。カメラのレンズを通して見ると虹が現れてきて何とも神秘的な感じがします。

滝から出るマイナスイオンと流れ落ちる水の音で日頃の疲れが癒されてきます。

男滝
女滝
湧玉の滝

ここに「大江戸今昔めぐり」という地図アプリがあるが、このアプリは江戸時代の地図と現代の地図を重ね合わせて見ることが出来るとても優れた地図アプリがあります。

大江戸今昔めぐり
江戸時代末期の朱引きを網羅した復元古地図を「完全描き起こし」で再現!現代の東京の地図と切り替えながら閲覧できる地図アプリです。

このアプリを使って江戸切り絵図を確認してみると、名主の滝公園は江戸切り絵図上では「旧家者名主善左衛門宅」となっています。

なるほど名主の家だったことがわかりますね。

切り絵図でみると王子村は辺りは畑ばかりのようで、その後明治になって貿易商の垣内徳三郎が庭園として作りあげたので今私たちが見ているのは明治以降に出来た風景に近いものだと思われます。

それにしても本当にここは周りの住宅街からは想像も浮かないというくらいの森林です。

名主の滝公園にはヤマモミジ、ケヤキ、シイ、イチョウなど様々な木や花が植林されています。今年は例年より早い開花だそうでトンボ池の畔に桜が咲いてました。春には桜、秋は紅葉の紅葉と四季折々訪れて見るのも楽しみかもしれません。

利用時間・休園日

利用時間:
午前9時~午後5時まで
※7月15日~9月15日は午前9時~午後6時まで
いずれも入園は閉園の30分前まで

休園日:
12月29日~1月4日まで

駐車場:
なし

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