「贅沢」と聞くと、何を思い浮かべるでしょう。
高級な料理を食べること。
いい酒を飲むこと。
旅行へ出かけること。
欲しかったものを買うこと。
たしかに、それも贅沢です。でも、贅沢というのは、本当に値段で決まるものなのでしょうか。
食事のことを考えてみると、少し違った贅沢が見えてきます。
人は、自分が食べたものでできています。毎日の食事が身体をつくり、それが長い時間をかけて、自分自身になっていく。
そう考えると、何を口にするかというのは、思っている以上に大事なことなのかもしれません。
日本に暮らしていると、普段の食事は、地域が違ってもどこか似ています。
米を食べ、魚や肉を食べ、野菜を食べる。味噌や醤油を使い、季節になれば旬のものを味わう。
もちろん、その土地ごとの違いはあります。ところが、世界に目を向けると、ずいぶん様子が違います。
主食も違えば、使う食材も違う。味付けも、料理の仕方も違う。
その土地で育つものを食べ、そこで暮らす人たちの食文化が形づくられていく。
そう考えると、地産地消というのも、単に「近くでつくったものを近くで消費する」というだけの話ではないように思います。
その土地で育ったものを、その土地で味わう。
旬の野菜や魚をいただく。その土地ならではの味を知る。
それは、自分の身体にとっても、どこか自然なことなのではないでしょうか。
もちろん、地産地消だから健康にいい、と単純に言えるわけではありません。それでも、自分が暮らす土地で育ったものをいただくと、食材との距離が少し近くなるような気がします。
そして、食にはもう一つ、面白いところがあります。自分のためだけではなく、人を喜ばせることができることです。
前の記事で、「ごちそう」という言葉について触れました。
「馳走」とは、もともと走り回ること。
人をもてなすために、あちこち走り回って食材を集め、料理を用意する。
そこから「ごちそう」という言葉が生まれました。
そう考えると、ごちそうには初めから、誰かのために手をかけるという意味があったのでしょう。
自分の好きなものを、自分のために味わう。それもいい。
けれど、誰かのために料理をつくり、「おいしい」と言ってもらう。
それもまた、食事の楽しみです。
いい食材を手に入れたから、あの人にも食べてもらいたい。
自分がおいしいと思ったものを、誰かにも味わってほしい。
そして、相手が喜んでくれる。
すると、つくった側もうれしくなる。食卓には、そんな小さな循環があります。
身体が喜ぶ。
人が喜ぶ。
そう考えていくと、「贅沢」というものも、少し違って見えてきます。
高価なものを口にすることだけが、贅沢ではない。
自分の身体を気遣いながら、食べるものを選べること。
その土地で育ったものを味わえること。
そして、おいしいものを誰かと分かち合い、その人の喜ぶ顔を見ること。
そんなところにも、食の贅沢はあるのかもしれません。
では、自分にとっての贅沢とは、何だろう。高い料理でも、珍しい食材でもない。
案外、もっと身近なところにあるのかもしれません。